オトナになるって?工事中★★★★★★この1年数ヶ月のシツレン騒動に散々振り回されて、 生まれて初めて 「オトナ」という感覚が、 自分にそぐわないモノだと実感した。 漠然と「オトナになりたくない」なんて事も言ったけど、全然違う。 ■ 別に年齢や何かで、どこからオトナとか決まってるわけじゃない。 …オトナって、なんだ?? 聞き分けが良くなるコト? 自分も他人も許せるようになるコト? 自分が、なるべく自分の意志と力で、生きていけるコト? ■ 子供の頃は、大人は教科書の中身を全部わかっている人だと思った。 正しい事をわかっている人だと思った。 わかっている上で、それぞれの人生があったり、問題があったりするのだと。 そのうち、だんだん崩れてくる。 教科書の中身は、わからない人の方が多いし、 あくまで知識のほんの少しだから、オトナである事に比例しない。 正しい事は、一口にまとめられない事の方が多いし、誰にもわからない。 それに、どちらかと言うと、正しい事はコドモも方がわかっている気がする。 私自身も、年を取るにつれて、当たり前の事がわからなくなる事が多くなった。 ちょっと落ち着いて考えたら、簡単に答えが出るのに…。 選挙だの、賞味期限のラベルだの、恋愛だの、人とのつきあい方だの、 お金や戦争、国、宗教について、 本当に大切なこと、大事にしたいこと、等々…… 本当に、小学校高学年から中学生あたりの人に政治をやってもらったら、 いろいろうまくいくんじゃないか?と思う。 ■ オトナって、いろいろしがらみがあるらしい。 自分でわかってても、そういうモノに振り回されてしまう。 そして、振り回されたまま、一生を終えていくのだ。 強い人は、自分からソレを利用して、我が道を切り拓いて行く。 強い人。 世間や一般的な考えに流されない人。 (それが自分の考えとちょうど同じなら、構わないけどね) 子供の頃に感じた、美しいものや楽しい気持ちを、意識できる人。 いろんな考えがある事を、知っている人。 自分も他人も無視しない人。 ■ コドモ時代は、覚えていく時期。 オトナは、わかっていて、その上でどうするかの選択を、自分でする。 つまり、一応は「わかって」いるのが理想だ。 世の中も一般論も他人の存在も、自分さえもあまり「わかっていない」 もしくは「わかろうとしない」のでは、オトナではないだろう。 ■ …で、思うに、オトナでないオトナが、数多く存在しているなー、と。 実際、賢い人があまり自ら自分を賢いとアピールしないのと同様に、 本当にオトナな人は「私はオトナだ」とは言わないだろう。 謙遜とはまた違ったところで「自分はなかなかオトナになれない」と思っている。 そして、 「いや、自分はオトナではない」と確信している人もいる。 「見た目や年齢や社会地位はオトナかもしれないが、 それはただ地球が回転して歳月が過ぎ、体が時間に合わせて大きくなっただけで、 知識がちょっと深くなっただけで、ソレを生かしたり許したり出来ていない」 子供心のあるオトナの話とは、違う。 未熟なオトナとも、違うようだ。 ■ 本当の大人って、なんだろう? どうも、つまらない、という形容詞ばかり浮かぶ。 他人に合わせて愛想笑いが出来るようになったり、 自分の本心がよくわからないまま、波に乗って頑張っている気になったり。 でも、そういうのって悪い事じゃない。 生きていく上で重要であるし、幸せにつながる事でもあるし、 なにより、本人が選んでそう生きているのなら、誰も咎める理由なない。 人間はいずれ死んでしまうのだから。 それを知って生きるのがオトナなら、単純に言えば、 自分勝手に好きなように生きていく事が出来るのが、オトナ。 ※工事中・・・・・・・・・また来て下さいね※ |